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新潟家庭裁判所 昭和52年(家)1454号 審判 1977年12月01日

申立人 小林良夫(仮名)

相手方 小林勇作(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一  申立の要旨

1  被相続人小林京太郎(以下被相続人という)は、昭和四七年八月三〇日死亡し、相続が開始した。

2  申立人と相手方は、被相続人の子として各二分の一の割合で同人の遺産を相続した。

3  被相続人の遺産は、別紙(略)記載のとおりである。

4  そこで、申立人は、右遺産につき、相手方との間での適切な分割を求める。

二  当事者の主張と事件の経過

しかして、本件につき開始された調停手続は、当事者の主張が次の如く対立し、合意の成立する見込がなかつたため、不成立で終了し、審判手続に移行した。すなわち、

1  相手方は、「申立人は、被相続人の死亡後、真意に基づいて同人の相続を放棄し、その相続人たる地位を失つたのであるから、もはや本件遺産分割の当事者となり得ない。」と主張し、申立人の主張する右相続放棄の取消原因事実を否認した。

2  申立人は、「右相続放棄は、申立人が相手方から詐欺・強迫を受けてなしたものである。そこで、申立人は、その後、右相続放棄を取り消し、被相続人の相続人たる地位を回復した。」と主張した。

三  当裁判所の判断

そこで、本件遺産分割の内容に関する検討に入る前に、先ず、申立人の当事者適格に関する点につき、当事者の主張に沿つて検討する。

1  本件相続の開始と法定相続人

当庁昭和四七年(家)第二七二八号ないし第二七三四号相続放棄申立事件(以下<イ>事件という)・同昭和五二年(家)第六〇号相続放棄取消申立事件(以下<ロ>事件という)の各記録に添付の各戸籍謄本によると、被相続人(本籍並びに最後の住所新潟県○○○郡○○村大字○○○××××番地・明治四三年一〇月三〇日生)は、昭和四七年八月三〇日死亡し、同人に対する相続が開始されたこと、同人は、昭和七年三月二二日笹田セイ(明治四三年九月二七日生)と婚姻し、同女との間に、昭和一〇年一月一五日、本件相手方である長男勇作を、昭和一二年八月四日、長女静を、昭和一四年七月二三日、二女ハルを、昭和一七年七月六日、二男義一を、昭和一八年八月二二日、三女ミツを、昭和二二年一月三日、本件申立人である三男良夫を、昭和二四年一〇月一日、四男康雄を、昭和二八年三月二八日、四女カツ子をもうけたこと、そして、被相続人の死亡時には、右妻子のうち、生後一七日目に死亡していた二男義一を除く全員が生存していたことが認められる。

したがつて、被相続人の法定相続人は、妻セイ及び申立人・相手方を含む七名の子であつた。

2  被相続人と当事者らの生活関係

前記各戸籍謄本、<ロ>事件記録中の家庭裁判所調査官大滝慶作作成の調査報告書及び同事件における申立人(第一回)・相手方に対する各審問の結果、本件における申立人・相手方に対する各審問の結果(いずれも第二回)によると、被相続人は、生前、肩書住所地において、後記田畑を有して農業を営み、前記の如く、妻セイとの間に八名の子をもうけたこと、そして、同人の死亡当時は、申立人とカツ子を除いた子ら(二男義一は前記のとおり幼少時に死亡した)は、いずれも既に結婚しており、妻セイのほか、相手方夫婦とその子・申立人・カツ子が被相続人と同居していたこと、右家族構成の中にあつて、相手方は、中学校を卒業直後から継続して被相続人と共に家業の農業に従事しており、周囲の者から被相続人の後継者として認められていたこと、一方、申立人は、県内の高校を卒業後、京太郎の資金援助を受けて○○○大学○○学部に進学し、昭和四四年同大学を卒業後は、臨時的な就職を繰り返しながら、資格試験の受験等を目指して勉学生活を続けていたが、社会人となつてからもなお、時折、被相続人から仕送りを受けており、昭和四七年に入ると、被相続人が病に伏し、右援助も跡絶えたため、同人の勧めに応じて帰省し、前記の如く同居生活をしていたことが認められる。

3  申立人らの相続放棄の申述

<イ>事件記録に添付の各相続放棄申述書(七通)・各回答書(七通)・各封書(七通)、<ロ>事件記録に添付の前記調査報告書及び同事件における小林セイ・神田静・小林靖子・申立人(第一回)・相手方に対する各審問の結果、本件記録に添付の各固定資産評価証明書(五通)・家庭裁判所調査官中島清作成の調査票及び本件における小林靖子・小林セイ(第一、二回)・尾崎ハル・水田康雄・申立人(第一、二回)・相手方(第一、二回)に対する各審問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 本件相続開始後の昭和四七年九月ころ、セイ及び相手方をはじめ、前記法定相続人全員の間で被相続人の遺産相続の方法についての話し合いが行われた。遺産は、主として約四ヘクタールの田畑と宅地(六七九平米)・家屋(三三〇・四四平米)であつた(その固定資産評価額は合計金四九八万三、四〇五円)が、申立人を除く全員は、当初から遺産の総てを農業後継者としての相手方が単独で相続することで意見が一致しており、また、申立人も一時は瞹昧な態度を示していたものの、結局これに従うこととなり、同年一〇月一九日、相手方を除く全員は、予じめ同人によつて準備された相続放棄申述書にそれぞれ自ら申述人としての署名押印をなしてこれを完成し、相手方がこれを取りまとめたうえ、白根市在住の司法書士田中與一郎に持参し、同人が一括して郵送し、各申述書は、同月二一日当庁に到達して受け付けられ、<イ>事件が開始された(以下申立人のなした右相続放棄の申述を本件放棄申述という)。

(二) その後、<イ>事件の事実調査を担当した家庭裁判所調査官日下雪夫は、右各申述の真意を確認するため、申立人を含む各申述人に対してその趣旨の質問事項が印刷された「回答書」を送り、同書に記入・回答を求めた。これに対し、申立人を除く各申述人は、いずれも、右回答書に、右申述は、<1>自らの真意に基づき自らその手続をなしたものであること、<2>その目的が相手方に全遺産を相続させることにあること、<3>他の申述人のうち、一人でも申述手続を取下げるならば、自分もこれを取下げる予定であること等を内容とする記入と署名をなしたうえ、各自これを返送し、各回答書は、同年一〇月三〇日から一一月六日までの間に当庁に到達した。

(三) ところが、申立人のみは、右照会に対して何らの応答もせずに日を重ねたため、やがて相手方や他の申述人らもそのことを知るに至つた。そこで、母セイ・姉の神田静・相手方・弟の水田康雄らは、申立人に対し、同胞の中で申立人のみが大学を卒業した(康雄が高校を卒業した他は、いずれも中学校を卒業したのみ)ことや申立人が今後も相手方らに世話になるだろうこと等を理由として、被相続人の後継者となるべき相手方のために他の者と同様に本件放棄申述の手続を全うするよう促した。

そして、最終的には、申立人と相手方の間において、概ね、「相手方は、申立人に対して申立人が切ない(困窮した)時には人並みの面倒をみる(援助をする)。双方は、今後、互いに仲良く交際し、助け合う。」旨のいわば抽象的表現による合意が申立人から相手方の意思を確認する形で成立する一方、申立人は、相手方らの要請に応じて本件放棄申述手続を進めることを同意するに至つた。

ところで、申立人と相手方の間では、右合意について、更に内容の具体化や相手方がこれに反した場合の措置等に関しては、何らの話し合いもなされなかつた。しかしながら、右当事者を含む本件の関係者の間では、この点については、左の如く暗黙裡に理解されていた。すなわち、

右「面倒をみること」とは、相手方は、遺産の総てを相続することから、被相続人の後継者として、相手方らの居住する地域社会の伝統的慣習に従い、今後は、申立人ら同胞に対していわば父親代りの役割を果すべき一般的責務を負うこと、例えば、申立人に対しては、同人が将来、結婚などして相手方らから独立した生計を営むに至つた場合など(俗にいう分家)には、本件遺産の一部を宅地として提供すると共に、住居の建築に際しても遺産を滅少させない限度において可能な限りの援助をすることをはじめ、申立人が真摯な生活態度を保持する限り、同人が生活に困窮した場合などには、他に卒先してその扶助に努めることなどを指していた。

ところで、このような、慣習に基づく相手方の責務は、いわば道義上のものであつて、その具体化と履行は、窮極的には相手方の自発的意思に委ねられ、申立人らからこれを強いて求め得る性格のものではないものの、右慣習は、相手方の如くその地域社会に永住する者にとつては、周囲からの自己に対する社会的評価を考えると、右の如き合意の有無に拘わらず、現実には、これを無視し得ない事実上の精神的拘束力を有するものであり、本件における相手方も右慣習の存在と性格を充分に認識していた。

(四) かくして、申立人は、同年一一月二八日、相手方を伴つて当庁に出頭した後、相手方を外に待たせて独り家事調査官室に入り、前記回答書に本件放棄申述手続は、<1>自らの真意に基き自らなしたものであること、<2>その目的が相手方に全遺産を相続させることにあること、<3>他の申述人が申述手続を取下げても自分はこれを取下げないこと等を内容とする記入と署名をなしたうえ、これを同室で右回答書の取扱事務を補助担当していた事務官の山口国男に提出した。

(五) そして、本件放棄申述を含む前記七名の相続放棄申述について、いずれも昭和四七年一一月二九日、受理審判がなされた。

以上の事実が認められる。

4  その後の経過と申立人の相続放棄取消の申述並びに本件申立

(一)  <ロ>事件記録に添付の申立書・上申書・前記調査報告書及び同事件における小林セイ・小林靖子・申立人(第一、二回)・相手方に対する各審問の結果、本件記録に添付の申立書・前記調査票及び本件における小林靖子・小林セイ(第一、二回)・水田康雄・申立人(第一、二回)・相手方(第一、二回)に対する各審問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。すなわち、

申立人は、前記の如く、被相続人の生前中から生家に戻つたまま、同人の死後も数か月間上京していた時期を除き、母セイ及び相手方一家と同居生活を続けて現在に至つているが、この間、自らは定職に就くこともせず、その生活は専ら相手方らの働きに依存していること、そのため、相手方やセイ、更には、申立人のその他の同胞も、申立人の右生活態度について次第に批判的な態度を示すようになり、申立人からの借金依頼などにも応じなくなつたこと、殊に、相手方は、申立人の同居者としての日常の非協力的生活態度を次第に耐え難く思うようになつたこと、一方、申立人も例えば、相手方に借金の保証を依頼して断られたことを相手方が約束に反して申立人の「面倒をみない」と受取るなど、相手方に対して不満を抱くようになつたこと、そして申立人と相手方間は、次第に会話も少なくなるとともに、相互の意思疎通を欠くようになり、このため、日常、些細なことをめぐつて口論の生ずることが多くなつたこと、そのような経過から、相手方は、申立人を別居させることが互いのためになると考え、昭和五二年春から近所の所有地に申立人の居宅(床面積約四三平米)の建築を始め、同工事は、近く完了する状況にあるが、なお、将来、申立人が結婚するなどしてその拡張の必要が生じた場合には更に増築する心算りでいること、また、相手方としては、農業所得の他に収入がなく、しかもその生活に余裕のないことから、現在は、申立人に対して本件遺産である農地を譲渡する考えはないものの、前記地域の慣習に従つて、今後も実家として引続き同人の生活を援助する考えは変らずに有していること、ところで、申立人は、本件放棄手続終了後、同手続の有効性に関しては特に問題としたことがなかつたが、相手方をはじめ同胞らの自己に対する態度が右の如く次第に厳しくなるに及んで、相手方に対して遺産の分割を求めるようになり、相手方がこれに応じなかつたため、昭和五二年一月一二日に至り、当庁に対して本件放棄申述による相続放棄の取消の申述(以下本件取消申述という)をなし(<ロ>事件)、その手続の中で、右取消原因として、「本件放棄申述は、相手方からの詐欺・強迫を受けた結果なされたものである」と主張し、他方、同年同月二八日に至り、前記申立の要旨のとおり相手方との間での遺産分割を求めた本件調停を申し立てたこと、以上の事実が認められる。

(二)  しかして、<ロ>事件について、同年五月九日、本件取消申述の受理審判がなされたこと、本件調停事件について、同年六月二日調停期日が開かれ、前記二のとおり不成立で手続が終了したことは、それぞれ<ロ>事件と本件の記録上明らかである。

5  本件放棄申述と本件取消申述による効果

(一)  前記3の(一)ないし(四)に認定の事実によれば、本件放棄申述は、申立人が自ら行つたものであり、また、同申述に対しては、前記3の(五)に認定のとおり、その受理審判がなされたのであるから、同申述行為について民法九一九条所定の取消事由の存しない限り、申立人には、被相続人の遺産相続を放棄した効果が確定的に生じ、申立人はもはや右相続放棄を取り消し得ないものといわなければならない。

(二)  しかるところ、申立人は、前記一及び三の4の(一)の如く、<ロ>事件及び本件において、本件放棄申述が相手方からの詐欺・強迫を受けた末になされた旨を主張するので、この点につき検討するに、<ロ>事件における申立人の供述(第二回)中には、右主張に副う部分も存するが(1)前記2・3の(一)ないし(四)に認定の本件放棄申述に至る経緯、(2)前記4の(一)に認定のその後の当事者らの生活態度、とりわけ、申立人が、本件放棄申述の有効性を長い間争うことなく相手方らと同居生活をしながら、相手方に対する感情が悪化するに至つてはじめて本件取消申述及び本件遺産分割調停の申立をなしたこと、(3)そもそも申立人は、本件取消申述手続(<ロ>事件)において、当初は、相続放棄の取消原因として専ら本件放棄申述手続(<イ>事件)後の相手方の行為をとりあげて主張したに過ぎず、前記詐欺・強迫の事実は、その三か月後に付加して主張するに至つたものであること、(4)<ロ>事件及び本件における申立人の供述中には、自ら右主張に反する部分が少なからず存すること等に照らすと、右主張に副う前記申立人の供述部分は、措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る資料もない。

却つて、前記2・3の(一)ないし(四)、4の(一)に認定の諸事実に右(3)、(4)の事情を併せると、申立人と相手方の前記3の(三)の各合意は円満に成立し、申立人は納得したうえで本件放棄手続を終えたこと、また、右合意については、その具体的内容が特定しておらず、その履行は、前記の如く、窮極的には、相手方に委ねられているものの、相手方は、本件相続開始当時から履行意思を有していたこと、しかるに、その後の申立人の専ら相手方らに依存した生活態度が主な原因となつて、現在双方間に対立感情が生じているに過ぎないこと、そして、申立人のこの感情が本件申立の原因の一つとなつているものと認めるのが相当である。

(三)  右によれば、本件放棄申述については、申立人の主張する取消原因は、いずれも認められず、また、他に取消原因の存在を窺わせる資料も存しない。

(四)  したがつて、本件放棄申述によつてなした申立人の相続放棄は申立人の真意に基づいてなされたものとして有効であり、これを取消すことはできず、本件取消申述は、その受理審判がなされたにもかかわらず、実質的要件を欠くものとして、これによつて現実に、右相続放棄の取消効果を生ずるものではないというべきである。

6  結論

以上によれば、申立人は、被相続人の子としてその法定相続人の一人ではあつたものの、同人の死後、その相続を放棄したことによつて、その相続人たる地位を喪失し、再びその地位を回復し得ないのであるから、もはや本件遺産分割の当事者となり得ないものといわなければならない。

したがつて、本件遺産分割の申立は、その余を論ずるまでもなく、理由のないことが明らかである。

四  よつて、本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 岩垂正起)

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